葬送行進曲


 9月9日(木)  昇 天
 深夜、電話のベルで起こされた。時計の針は午前0時15分。不吉な予感が脳裏をよぎる。案の定、病院からだった。
  「お子さんが、ショック状態になっています」
 大急ぎで病院に駆けつけた。0時35分病室に入る。すでに呼吸はなく、体の温もりも失せていた。顔を覆っている人工呼吸器の音だけが、空虚に響く。
  「これを はずして !」
と、看護婦さんに母親が言った。

 看護婦は、夕方、『ママ、ママ・・・』と、なんども、お母さんを呼んでいました」といった。身近に迫る「死」、ママに話したい、別れの言葉を告げたい、朦朧とする意識と戦いながら声を上げていたのだろう。 パパやママも、せめて両手を握って、「友ちゃん、よくがんばったね」「見守ってあげるから、安心して眠ってね」「さようなら」と言って上げたかった。
 あれほど「死」を恐れ、こわがっていた友孝に、「さようなら」もない、「ありがとう」もない永の別れは悲しすぎた。

 0時42分、主治医の井原先生が姿を見せ、これまでの経過を説明してくれたが、先生もハッキリしたことは、なにも分かっていなかった。
 「解剖させていただきたい」と言われたが、母親は即座に断った。小さいときから、元気になるためだからガマンしてね、と言い聞かせながら、何度も体にメスを入れさせられた友孝に、これ以上のメスはあまりにも可哀想過ぎるとの思いからだった。

 取り敢えず遺体を冷蔵庫に安置していったん帰宅、友孝を迎え入れる準備にとりかかった。父は、ぬけ殻になった友孝の部屋に入るなり、声を上げて泣いた。
 午前9時、ふたたび病院に戻って遺体を引き取り、「棺桶で帰るのはイヤだ」と日記に書いていたその家に、11時30分、無言のまま帰還した。
 北側の6畳間に寝かされた友孝の寝顔はピンク色に輝いて見え、まるで生きているかのようであったが、すでに背中には赤紫色の死斑が生じていた。
 それは、「ボクは、もう、生きかえらないからね!」と、告げているかのように見えた。


 9月10日(金)  葬送行進曲
 
 葬儀は、父の社宅で午後2時から行われた。奇しくも、この日午後1時からのNHKのFM放送は、友孝が、父に録音をたのみ、退院後に聞くつもりでいた”ベートーベンの交響曲第3番「英雄」”の演奏をはじめていた。
 第2楽章は”葬送行進曲”である。墓地に向かって粛々と進む柩車のきしる哀音が、柩を見送る人びとの胸をかきむしり、心魂を打つ太鼓の響きが心を打つ。

 葬送行進曲の演奏が終わったころ、僧侶による読経がはじまった。死の寸前まで、もてるエネルギーを爆発させて逝った友孝に、これ以上の野辺送りはないと思えた。
 それにしても、葬送行進曲の演奏と読経の同時進行という、あまりにも不思議な符合、しかも、その録音を父に注文していたとは・・・。

 葬儀は父の上司がすべてを取り仕切ってくださった。田中先生以下、四谷区立第六小学校と四谷区立第一中学校のクラスメート約70人がお別れにきてくれ、その他大勢の方々にご焼香いただいた。
 柩を載せた車は午後4時、渋谷区西原の代々幡斎場に着いた。高い煙突から白い煙が上がったころ、朝からの曇り空は、たまりかねたように大粒の雨を降らし始めた。


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嗚呼 伏見友孝君

嗚呼 伏見友孝君

ギャラリー 0~3歳 - joken3

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