三年生新聞 


 小学1年の後半から2年1学期の中頃まで病気で学校を休みました。なんとか3年に進級できたものの、7月なかばから、再び、欠席することになったのですが、遺品の中に、「三年生新聞」がありました。
 B4判の紙2枚をテープでつなぎ、上半分に「お知らせ・ニュース」などを、下半分には自作の「読み物」や「マンガ」を書いていました。
 「一しゅうかんに一回 月曜日はっこう 色ずり 三年生新聞社はっこう 」 と、題字の下に書いてありますが、予定どおりにはいかなかったようです。つまり、
 ●第一号 発行日の記入なし。紙面の中央左に、「みんなも”し” を作って三年生新聞社へ出してください そのほか ニュースや作文でもよいです。」と書いてありました。
 ●第二号 5月29日
 ●第三号 6月 5日
 ●第四号 6月12日
 ●第五号 6月19日
 ●第六号 6月28日
   紙面の下に「おわび びょうきのため三年生新聞のはつばいがおくれました」とあります。
 ●第七号 制作中に発病したのでしょう。発行日は”七月”と書いてあるだけで、紙面の一部が空白になっていました。

 7月発熱、長い闘病生活が始まるのですが、間もなく日記を書き始めたようです。”ようです”というのは、この三年生新聞をはじめ、友孝の日記やマンガは、遺品を整理していて始めて目にしたからです。
 担任の田中先生にだけは近況報告のつもりで見て貰っていたようで、方々に先生のコメントが赤字で書き込まれています。先生のコメントが、友孝の闘病生活の大きな支えになったことはいうまでもありません。
 下は、色褪せた「三年生新聞」をデジカメで撮影したものです。紙面をクリックすると拡大表示されます。

 
 ● 並び順は、左上から右に、第一号から第二号へ、次いで、2段目へと並んでいます。
 ● マンガの色をつけているのは、珍しいことです。他のマンガは、すべて、青または黒の万年筆で書いていました。
  



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