国立小児病院 


 1967年8月23日、友孝は世田谷の国立小病院に入院、9月11日から日記を再開しました。

9月11日(日)  川村君
 今日はべつにけんさもないし、おなかもいたくない。となりに新しい友だちが入って来た。名まえは川村君という。見ていると そうとうのプラモケイ・マニアのようだ。目の病気だそうだ。 
 かんごふさんに聞くと、今日手じゅつをするそうだ。しばらくたって川村君は手じゅつ室にはこばれて行った。

9月15日(金)  輸 血
今 日もゆ血をした。いたくはないけれど、時間がかかるからゆ血はいやだ。ゆ血のハリは太いから さすとき すごいいたさを感じる。でもゆ血のハリでは、一ばんほそいそうだ。4時30分ごろ終わった。

9月16日(土) 3階にうつった
 今日もべつにかわった大きいけんさはない。午後、3階にうつった。3階はテレビをおいてはいけないので、つまらなかった。おやつは2階とちがった物が出るらしい。ぼくが来た時、みんなが集まって来た。きっとテレビが見られないから、ブラブラ歩きまわっているのだろう。


9月18日(月) 手 術
   ※午後1時25分から3時30分まで手術が行われた。病気は肝膿瘍、肝臓の3分の1が化膿していた。   この日、日記を記入する代わりに、パパとママからのメッセージがセロテープで貼ってあった。

パパより
 えらいぞ、友ちゃん よくがんばったね。
きのう 友ちゃんが手術しているあいだ、病院の3階のエレベータの椅子で、「友ちゃん がんばれ」「神様 どうか手術がぶじに終わりますように」と 心の中で お祈りしていたんだよ。
 手術が終わって医長先生から また そのあとで 秋山先生から無事に終わったと聞かされたときは ほっとしました。

 友ちゃん よかったなあ。手術したおかげで 熱が上がった原因がわかったんだよ。傷口がなおり 熱も上がらなくなったら もう大じょうぶ。傷口は1週間くらいでなおるでしょう。そうしたら退院も間近です。元気に向かってまっしぐら 進んでもらいたというパパの気持ちをこめて 騎兵隊の騎手のミニチュアをプレゼントします。  

 ママから
 友ちゃん よくがんばりましたね。まだ少し つらいでしょうが 1日々々良くなっていくのですから がまんして下さい。それから 看かんごふさんから何かやっていただいた時は、「ありがとう」ということばを忘れずにね。
この中のたくさんのおてがみは、みんな友情のあらわれです。かんしゃして読みましょう。一人の人が何度も書いたのがありますので じゅんじょがまちまちですが そのつもりで読んでください。
 そのほか 田村さんからスケッチブック・手帳などのプレゼント、白石さんからくす玉のプレゼントがありますが、少しかさばりますので、もう少し からだが良くなってから おとどけしますね。


10月6日(金) いつもどおり
 いつもどおり朝おきて朝ごはんたべて、ひるごはんたべて、夕ごはんをたべて、夜ねた。ただ、今日、新しくふたり子どもが入ってきた。一人は三年生だったけれど、もう一人はだいぶ小さい子なので あつかいにくいと思った。

10月8日(日) 面会日
 今日はめんかい日だ。ママはどんな物を持ってくるかな?・・・。ぼくはめんかい時間を待った。やがて2時になる。みんなのおかあさんがゾロゾロ入ってきた。とおりすぎた。ぼくのママがいるようすがない。でもぼくは来るはずだと思ってまった。するとエレベーターの方からふたりほど歩いて来た。ぼくはとちゅうまできてから「だ」と見分けた。
 今日は、お友だちのお手紙やらプレゼントをもって来てくれた。そのほか、白い竜黒い竜のどう話とTVガイド、ワーキングやドリルだった。

 めんかい日を、どんなにか たのしみにしてしているか よくわかります。ママを見つけた時のうれしさがよくわかります。


10月11日(水) 並 大
 ご前中、ごはんを並大にたのんだ。すると夜、並大になった。夜はおにぎりだったから並大にしてよかったと思った。 ぜんぶたべたら おなかがいっぱいになった。ウマカッた。ぼくは並大にしたことを ぜんぜんこうかいしていない。

10月12日(木)  8度2分
 夜、熱が8度2分あったので テレビが見られなかった。そのわけは、朝7度2分の熱があったので ねていたら下がったから 安心してあばれたら また熱が上がったのだと思う。こうかいする。

10月13日(金) 氷まくら
 今日も熱が出たのでテレビが見られなかった。氷まくらをしてもらい いっしょに熱のでた松本くんと、いっしょにベットでねていた。


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