嗚呼 伏見友孝君   


 
 左のは、友孝の小学4年から6年までを担任いただいた、田中一徳先生(新宿区四谷第六小学校)によって編集されました。(A5版40ページ)
の冒頭に書かれた「哀惜無限」は、次ページに掲載。
       ☆ ☆ ☆
右(→)は、先生が、友孝のことを同級生に伝えるため、急遽、発行された学級通信「白墨の粉」で、下(↓)は、その1~2ページに掲載されたものです。 3ページには「思い出の作文」が掲載されました。



嗚呼 伏見友孝君

田中一徳    
 突然の訃報に接し、暗然、声をのむのみでした。昭和46年9月9日深夜(12時過ぎ)、世田谷の国立小児病院4階の1室で急逝されました。病気は、おそらく、幼いとき以来の肝臓病の再発でありましょう。医師にもよくわからない。友孝君にとっての宿痾(しゅくあ)であったようです。

 優秀な頭脳と、閃(ひらめ)く創造力と、闊達(かったつ)な明朗さと・・・限りなく未来に開けていた前途でありましたのに、痛恨(つうこん)やるかたなく、無念きわまりありません。

 われらの、かけがえもなくだいじな仲間の夭折(ようせつ)を万斛(ばんこく)の涙でお知らせします。            祈念冥福永合掌

挽歌(かなしびのうた)哭(な)きつつ捧(ささ)げまつる

 楽浪(さざなみ)の志我津の子らが罷道(まかりじ)の
   川瀬の道を見ればさぶしも    (万葉巻2 柿本人麿)

 世の中は空しきものと知る時し 
    いよよますます悲しかりけり   (同 巻5 大友旅人)

 稚(わか)ければ道行き知らじ幣(まい)はせむ 
   黄泉(よみ)の使 負ひて通らせ    (同 巻5 山上憶良)

 <上の3首にひそみまねびて 次の歌うたひてむ>

  ◆長歌とて
       たまきはる みいのちかぎり
   つくしたる きみはいまはや
   たたなはる 山をもこへて
   逝きたまふ 罷道(まかりじ)はろか
   悔しかも この稚(わか)さなる
   廣ごりて 海ともならめ
   積(うず)もりて 嶽ともならめ
   荒磯(あらそ)うみ 月読(つくよ)み照らせ
   おどろ山 茨刈りたて
   にこび霊(たま) ゆくを援(たす)くか
   あらび霊(たま) ゆくを阻(はば)むか
   いまははや 千々にか迷ふ あど離(さか)るがへ

 ◆返歌(かえりうた)とて
     罷道をゆき難(かて)ぬかも 通(お)す通(お)さぬ
     稚(わか)きみたまと あど難(さか)るがへ 


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思い出の作文

伏見君の思い出

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